11月




さおりさんとようこちゃんがモスクワから遊びに来た。1日だ
けの短い滞在だけだったが、ノヴゴロドの醍醐味を存分に
あじわえた。2人ともこの落ち着いた町をとっても気に入って
くれた。



大学のとなりにある教会へいった。ノヴゴロドで一番古いら
しい。中は博物館になっていて、天井をはじめいろいろなと
ころに古い絵が描きのこされている。30円くらいで入れたの
が驚き。
 


寮を引っ越すことにした。やっぱり知らない子と過ごすのは
厳しい。いろんな人に空いている部屋はないかと聞いてもら
い、ついに見つけた。大学から遠くなるが、寮を出られるな
らどこでもいい。1週間後に空くらしので、その日を待ち望ん
だ。ところが、1週間待っても、まだ引越しが終わってないと
いう。明日は必ずと言いつつ、私の荷物を持っていくと、ま
だ何も引越しの気配がない。8畳くらいの部屋に、6、7人家
族が住んでいる。本当に、明日引越しができるのかと疑い
ながら、次の日電話がかかり、引越しできますよとのこと。
やっと引越しできる!とルンルンで行くと、家具がそのまま
で中が空っぽ。あわてて、物だけを出したという感じで、家
族もまだいる。「この家具を1週間だけ置かしてもらえないで
しょうか。」と部屋に置き詰まった空っぽの大きな家具が並
んでいる。仕方がなく1週間だけ、その家族の家具で生活す
ることにした。

気合を入れて掃除をした。すっごくすっごくすっごく汚かっ
た。台所、部屋、トイレ、洗面所。すべてを片っ端から掃除し
た。お風呂の水の出が悪すぎ。トイレも後ろの壁がなくて丸
出しで、くもの巣がはってある。「水まわりのきれいさで、そ
の人の性格がわかる」といった友達の言葉を思いだす。あと
換気扇の穴も掃除しようとして、ふたを開けるとぞっとした。
みるんじゃなかった。見なかったことにしよう。あれはさすが
に掃除できない。

その夜は、例えようもないほど辛かった。知らない人のベッ
ドでまだ知らない匂いがたくさんあふれていて、凄く寒くて寝
むれなく、お金もなく、1階だからカーテンをしっかり閉めて、
扉の音が凄く響いて、これからどうなるんだろうと不安でし
かたがなかった。

朝起きると、外が真っ白だった。雪がふぶきになって降って
いる。今日は親子丼を作った。久々のしょうゆ。おいしかっ
た。

大学へ行き、ネーラさんに会って、パスポートを見せると、ビ
ザがないといわれた。ビザ発行所では、別に問題はないと
言われたのだが、なんだかややこしいことになった。ロシア
語で説明されたが、少し分らず、英語でもよく分らず、ネーラ
さんはビクトル先生に電話をして、ロシア語で先生に説明し
たが、私はそのロシア語は、はっきり理解できた。なんだか
とても悔しかった。もっとロシア語を勉強しよう。
ビザがないということでビザのための写真を、すぐに撮りに
いったが、ビザ専用の写真を撮ってくれるところが見つから
ない。写真屋さんに聞いても知らないという。疲れ果てて、
たたずんでいると、偶然にもビクトル先生に出会った。先生
と一緒に探し、ついに発見!そしてそこのカメラは、木でで
きたとても古いカメラだった。私は先生に「これこそ、写真機
です。」といった。なぜなら以前、授業で、最近は写真機と言
わずカメラといいます。と勉強したばっかりだからだ。


写真が出来上がるまできカフェでアイスクリームを食べた。
先生が日本へ行った話や、食べ物の話、いろいろした。日
本のお菓子はロシア人にとって要注意なんだそうだ。なぜ
なら、お菓子というと、ロシアでは、クッキーや、ケーキなど
の甘いもので、日本のお菓子は、おかきなどの甘くないもの
なので、ロシア人がお菓子だと思って口にすると、驚くそう
だ。「ロシアという国は悪いところが多いけど、人はやさしい
とおもいます。」というと、先生は、「そうですねえ。日本人は
やさしいところもありますが、私は冷たいとおもいます。なぜ
なら、あまりゴスチ(その人の家に遊びに行くこと)をしてくれ
ません。何度か遊びに行くと言ったのですが、誰も招待して
くれませんでした。」たしかに、日本では誰かのうちへ招待さ
れるというより、どこかの喫茶店でお話をするほうが多い。
ゴスチへいくと、まず全ての部屋を見せてくれ、子供のころ
の写真も見せてくれ、そこのお母さんが、おいしい料理を作
ってくれ、もう食べられないというほど、食べさせられるのだ
が、そういう記憶は日本では少ない。




授業で茶道をした。抹茶の味は、みんな気に入ってくれた。
シャカシャカと音だけが響く。「どうして、泡が必要なの?」
「どうして、最後に飲むときにズズズ、と音を出すの?」質問
されたが、私もどうしてか分らない。みんなで考えた答えが
「よりおいしくなる。」だった。

アジア

アジアレストランのマスターが、新しいバルナというデパートを
開店した。その中にあるカフェで、パーティーが開かれ、サンク
トから、寿司職人が2人やって来た。韓国系のロシア人で、日
本人から作り方を教わったという。サンクトにはたくさんの日本
レストランがあるが、日本人コックはほとんどいないそうだ。日
本人コックを雇うには凄くお金がかかるそうだ。


市長もやって来た。お箸の使い方を教えたが、難しかったらし
く、手で食べていた。


そのパーティーで日本語を少し話す男の人がいた。ぜひ私の
娘を紹介したいという。そして、今日早速会うことになった。い
った場所が、小学校の体育館。扉を開けると驚いた。「ウシ
ロ!ミユキサンニ れい!」「こんにちは!」と片言の日本語
で、男の子達がいっせいに私の方を向いて挨拶をした。この男
の人は空手の先生で、もう25年以上も先生をしているベテラ
ンだった。その娘サーシャも小さいころから空手を学び、さまざ
まな賞をもらうほどにうまい。そして、今は毎日空手を教えてい
る。16歳で英語もドイツ語もペラペラらしい。空手、合気道、柔
道といった、日本のスポーツはここでは大変人気がある。私も
少し合気道を挑戦してみた。難しかったが、とても役に立つ。た
とえば、ちょっと、手首を曲げるだけで、相手が倒れる。凄いス
ポーツだ。

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