10月

10月20日

モスクワに再び訪れた。寮に置いていた荷物をとりに。あと
スピーチコンテストの予選を見るために。友達のカーチャも
スピーチコンテストに参加をしていた。面白いことに、彼女
が日本語を勉強し始めたきっかけは、インターネットで知り
合った日本人男性だそうだ。そしてわざわざモスクワにカー
チャに会いに来て、しかもプロポーズもしたそうだ。そしてそ
のとき初めてわかったことは、その男性はおじいさんだった
ということ。何事もきっかけというのは大事なものだ。カーチ
ャが日本語を勉強していなかったら、わたしと友達になって
いなかっただろう。そんな日本語との出会いを、胸を張って
スピーチする姿はとても輝かしかった。カーチャの友達マリ
アンナのスピーチもとても印象的だった。かわいらしい話し
方の彼女は、アドベンチャーが好きで、、北極旅行に興味を
持ち、そのほとんどのサイトが日本サイトだということからは
じまり、今勉強している日本語は毎日驚きの連続で、日本
語を勉強することもわたしのアドベンチャーです。という彼女
に、審査員の女の先生から「スカイダイビングのような危険
な遊びは、母親から見るとやめたほうがいいと思うんです
が、どう思いますか」という質問に、「一緒に楽しみましょう」
と答えたのはおもしろかった。


            10月3日

          
カーチャのうちに遊びに行った。お母さんの手料理をご馳走
になった。お父さんもお母さんも美男美女。今回はお父さん
は仕事でいなかったが、お父さんは運転手をしているそう
だ。前回カーチャは興味のある話をしてくれた。昔、カーチャ
のお父さんはゴルバチョフの運転手だったそうで、ソ連時
代、仕事でアメリカにいったお父さんはカーチャのお土産
に、ガムを買ってきてくれ、それをもらったカーチャは、生ま
れて初めて食べたガムに、ひどく感動して、友達にも上げる
と、知らない子までが、ガムほしさにカーチャと友達になりた
がったそうだ。ソ連時代は外国製品はまったくなかったと言
っていたから、ガムは不思議な食べ物だったんだろう。あ
と、ゴルバチョフを連れて未知の世界に行ったそうだ。という
のは、政府だけしか知らなかったというクレムリンの地下道
の話。そこに着いたときは左にも右にも倉庫がずらっと並ん
でたそうだ。この地下道は共産党幹部用の秘密地下道で、
スターラヤ広場、クレムリン、軍事空港、ホワイトハウス、そ
して、モスクワ大学の裏まで続いていたそうだ。1991年に
発見されたという。
 カーチャの誕生日にわたしが日本で友達と歌ったカセット
テープを聴き、カーチャの幼いころのシンデレラ役のホーム
ビデオを見て楽しい一日を過ごした。
 お世話になったさおりさんと駅でお別れをする。彼女はモ
スクワで働いているのだが、「ずっとモスクワにいるの?」と
いうわたしの質問に「たぶん」と答えた彼女に、わたしは何
かと心強さを感じた。知り合いのいるモスクワを離れるのが
寂しかった。

10月9日


新しい友達ができた。スウェーデンから来たマリーヤ。彼女
もここでスウェーデン語を9月から教えている。同じ境遇な
ので、すぐに仲良くなった。彼女に誘われて、スウェーデン
新学期パーティーに顔をだした。そこにはたくさんのスウェ
ーデン語を勉強している生徒が歌を歌ったり、ゲームをした
りして、新入生を歓迎していた。ここではスウェーデン語は
第一言語で活発がある。10年前に始まり、今ではその第一
期生が、今、先生としてスウェーデン語を教えている。そし
て留学生も受け入れている。自分の国の伝統の服を着て、
生徒たちが授業で習った歌を歌い、言葉を話すのをみて、
日本語もこんなに活発になったらいいなと思った。そして、と
ても楽しかった。明日はみんなとサンクト・ペテルブルクへ行
く。

10月10日

朝6時、気温4度。3時間バスに揺られサンクトに着いた。ま
ずはロシア美術館。ガイドつきで、マリーヤがロシアの絵画
など通訳をしていた。すごいロシア語力。

久々のサンクト。整った町並み、きれいなネヴァ川、たくさん
のお店、カフェ、公園。ここに住みたいなあ。
帰りのバスのトイレ休憩で空を見上げると一面の星空。感
激した!

10月11日


やっとビクトル先生が帰ってきた。やっと日本語の授業が始
まる。何人集まるんだろう。日本語の授業の張り紙をした。


集まった生徒は10人。思ったより少なかった。でも私にとっ
ていい人数だ。新しいグループ、2年目のグループ、週4回
授業がある。

初めての授業
とっても緊張した初めての授業。何度も何度も教案を見直
し、頭にいれる。初めての2時間の授業を終えた。自分なり
に成功した気がした。予定どうりだったし。みんな、ラ行など
の発音の練習など一生懸命練習してくれた。2年目のクラス
は春以来の授業で忘れていることも多く、ひらがなを書かす
と、なかなかミスも多かったが、疲れた?という質問に首を
振ってくれてよかった。そして、面白かったのが、辞書をさし
て、「これは何ですか。」という質問に「ジビキ!!」とみんな
声をそろえて言っているのが新鮮だった。鶴を折ってみた。
とても難しそうだった。


2回目の授業は教室がなく、食堂でした。でもこれがなかな
かよかった。みんなひとつのテーブルで接近しているので、
お互いにノートも見ることができる。前回より目を輝かせて
授業を受けてくれた。ただ、みんなそろって声を出して日本
語を言うと周りの学生が驚いてみていた。去年の夏からず
っと校舎を工事しているので教室がないのが残念だ。みん
な一生懸命授業は受けてくれるものの、家ではあまりしてい
ないうようだ。


            10月25
                  
ここへ来て1ヶ月くらいがたつ。思ったとおり、生活は厳し
い。でも授業は楽しい。寮に住んでいるが、なかなかルーム
メイトとうまくいかない。ロシア人学生なのだが、前に常に机
の上はきれいに、布団もきれいに、カーテンは閉めちゃだめ
といろいろダメーダメーと言われ、そのようにしてきたのだ
が、私もあまりロシア語ができないのもあり、あまり会話もな
く、いつもラジオが流れている。よく彼女は、友達の家に泊
まりに行っていないのでいいのだが、いるときはラジオの音
と緊張とで、授業準備が全くできないので、すぐに散歩に出
かけるようにしている。たまによく話すのだが、わたしから話
しかけても、あっそう とかわされることもある。日本人はプ
ライベートを大切にする。とビクトル先生はいっていた。ロシ
ア人の共同生活は本当に共同だ。自分のがなくても台所用
品とか勝手に使うらしいけど、私はなかなかできない。毎日
とても気を使う。やっぱり自分だけの空間がほしいなあ。

                       
 バスに乗った。乗車賃は6ルーブル。払わなかったら50ル
ーブル。おばちゃんが回収しにくるので、6ルーブルを手に
持って座っていたら、おばちゃんはこっちも見ずにさーっと行
ってしまった。するとすぐに罰金回収のおばちゃんがやって
きた。わたしは切符はまだないと言ったら、さっきのおばちゃ
んが、「私はちゃんと回収したわよ」と言っている。来なかっ
たと抵抗はしたのだが、大きな体の罰金回収のおばちゃん
は払え払えという。二人はグルだろうとおもった。私がもう降
りなければならないので、仕方なく払った。そしたらちょっと
待ってと、罰金領収書をゆっくりちぎっている。扉が閉まって
しまった。私は次のバス停で降り、歩きながら、いろいろなこ
こでの生活のつらさが身にしみて、秋の枯葉が舞うきれい
な道をしょんぼり歩いた。

          10月25日

                        
アルバイトの面接へ行った。大学の授業ではお金が足りな
いのと、空いた時間がかなりあるので、事前にビクトル先生
に他の仕事を探しておいてもらった。‘アジア‘という名の、
ウズベキスタンと韓国料理のお店だ。ここのオーナーはウ
ズベキスタンから来た人で、顔はアジア系の顔をしている。
両親が韓国人だそうだ。妹さんと一緒にこのお店を経営して
いる。もうすぐ新しいお店を開くそうで、そこで日本食もメニ
ューに取り入れたいのだが、寿司は作れるか?と聞かれと
まどった。料理は好きだが、寿司はちょっと、、、。まずはウ
ェートレスとして働くことに。メニューを覚えろといわれ、他の
ウェートレスのアンドレイやナージャ、ユーリャに教えてもら
った。知らない言葉ばっかりだ。ユーリャは20歳なのに、も
う結婚していて、おなかに赤ちゃんがいる。びっくり!それで
いてタバコをパカパカ吸っている。ロシアの結婚平均年齢は
22歳くらいだそうだ。はじめはあまりしゃべらなかったが、打
ち解けてくるにつれ、いろいろきいてくる。「日本でも、タバコ
をたくさん吸う?」「漢字はいくつあるの?」「日本人は酒を
いつ飲むの?」 大学の給料をいうとみんなすごく驚いてい
た。ゼロがひとつ勘違いしてるんじゃないかと何度も言われ
たが、ロシアの学校の給料はすごく安い。たとえ、ゼロをひ
とつ付けたとしても、日本人にとってとても少ない。「どうして
ここに来たのか、私にはわからないわ」ともいわれ、あまり
に言われすぎるとなかなかブルーになる。

          10月30日
                 
 日本語弁論大会がモスクワでおこなわれた。ロシアのモ
スクワをはじめ、ハバロフスク、ウラジオストーク、サンクト・
ペテルブルグなど、そしてとなりの国キルギス、ウズベキス
タンなど、さまざまなところから、各地の弁論大会で優勝した
優秀な大学生24人が、自分のスピーチを発表した。会場に
は大使をはじめ、たくさんの日本人がいて、日ごろ日本人に
接していなかった私は変な感じがした。優勝者には日本へ
の切符が手に入る。日本語を勉強している学生にとってこ
れはとても大きな賞品だ。どちらにせよ24人のスピーチは
すばらしかった。とくに私の印象に残ったのは、キルギスか
らの学生で、医療関係で働いている人の給料アップを訴え
ていたスピーチだ。私の隣に座っていた人がキルギスの人
だったのだが、彼女の訴えにあわせて、こぶしを握り締め
て、もっと強く、もっと強く言え!と応援していた。このモスク
ワの弁論大会の場を借りて、自分の国をもっとよい国にして
欲しいという願いを訴える姿に心を打たれた。
          
休憩時間に、地下鉄のキオスクでパンを買い、歩きながら
食べていると、ジプシーの子供たちに財布をかばんから取
られた。とられた感覚がしたのですぐ後ろを振り返ると、小さ
な子5,6人と女の人が私たちの後ろにいる。私とカーチャ
は返せ返せと何度もいい、財布を返したかとおもうと、中が
空っぽ、さらにとったお金を返せ返せと何度も言うと、汚れた
服の中から取ったお金を全部手渡した。生活に慣れたとこ
ろで気が抜けるので、いつも用心しなければならない。すぐ
近くに警察が2人立っていたのにただ見ていただけだったそ
うだ。モスクワは危ない。そして自分も用心しなければなら
ない。

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