![]() スピーチコンテストの予選を見るために。友達のカーチャも スピーチコンテストに参加をしていた。面白いことに、彼女 が日本語を勉強し始めたきっかけは、インターネットで知り 合った日本人男性だそうだ。そしてわざわざモスクワにカー チャに会いに来て、しかもプロポーズもしたそうだ。そしてそ のとき初めてわかったことは、その男性はおじいさんだった ということ。何事もきっかけというのは大事なものだ。カーチ ャが日本語を勉強していなかったら、わたしと友達になって いなかっただろう。そんな日本語との出会いを、胸を張って スピーチする姿はとても輝かしかった。カーチャの友達マリ アンナのスピーチもとても印象的だった。かわいらしい話し 方の彼女は、アドベンチャーが好きで、、北極旅行に興味を 持ち、そのほとんどのサイトが日本サイトだということからは じまり、今勉強している日本語は毎日驚きの連続で、日本 語を勉強することもわたしのアドベンチャーです。という彼女 に、審査員の女の先生から「スカイダイビングのような危険 な遊びは、母親から見るとやめたほうがいいと思うんです が、どう思いますか」という質問に、「一緒に楽しみましょう」 と答えたのはおもしろかった。 10月3日 ![]() ![]() ![]() カーチャのうちに遊びに行った。お母さんの手料理をご馳走 になった。お父さんもお母さんも美男美女。今回はお父さん は仕事でいなかったが、お父さんは運転手をしているそう だ。前回カーチャは興味のある話をしてくれた。昔、カーチャ のお父さんはゴルバチョフの運転手だったそうで、ソ連時 代、仕事でアメリカにいったお父さんはカーチャのお土産 に、ガムを買ってきてくれ、それをもらったカーチャは、生ま れて初めて食べたガムに、ひどく感動して、友達にも上げる と、知らない子までが、ガムほしさにカーチャと友達になりた がったそうだ。ソ連時代は外国製品はまったくなかったと言 っていたから、ガムは不思議な食べ物だったんだろう。あ と、ゴルバチョフを連れて未知の世界に行ったそうだ。という のは、政府だけしか知らなかったというクレムリンの地下道 の話。そこに着いたときは左にも右にも倉庫がずらっと並ん でたそうだ。この地下道は共産党幹部用の秘密地下道で、 スターラヤ広場、クレムリン、軍事空港、ホワイトハウス、そ して、モスクワ大学の裏まで続いていたそうだ。1991年に 発見されたという。 カーチャの誕生日にわたしが日本で友達と歌ったカセット テープを聴き、カーチャの幼いころのシンデレラ役のホーム ビデオを見て楽しい一日を過ごした。 お世話になったさおりさんと駅でお別れをする。彼女はモ スクワで働いているのだが、「ずっとモスクワにいるの?」と いうわたしの質問に「たぶん」と答えた彼女に、わたしは何 かと心強さを感じた。知り合いのいるモスクワを離れるのが 寂しかった。 ![]() ![]() もここでスウェーデン語を9月から教えている。同じ境遇な ので、すぐに仲良くなった。彼女に誘われて、スウェーデン 新学期パーティーに顔をだした。そこにはたくさんのスウェ ーデン語を勉強している生徒が歌を歌ったり、ゲームをした りして、新入生を歓迎していた。ここではスウェーデン語は 第一言語で活発がある。10年前に始まり、今ではその第一 期生が、今、先生としてスウェーデン語を教えている。そし て留学生も受け入れている。自分の国の伝統の服を着て、 生徒たちが授業で習った歌を歌い、言葉を話すのをみて、 日本語もこんなに活発になったらいいなと思った。そして、と ても楽しかった。明日はみんなとサンクト・ペテルブルクへ行 く。 ![]()
朝6時、気温4度。3時間バスに揺られサンクトに着いた。ま
ずはロシア美術館。ガイドつきで、マリーヤがロシアの絵画 など通訳をしていた。すごいロシア語力。 ![]() ![]()
久々のサンクト。整った町並み、きれいなネヴァ川、たくさん
のお店、カフェ、公園。ここに住みたいなあ。 激した! ![]() まる。何人集まるんだろう。日本語の授業の張り紙をした。 ![]() ていい人数だ。新しいグループ、2年目のグループ、週4回 授業がある。 し、頭にいれる。初めての2時間の授業を終えた。自分なり に成功した気がした。予定どうりだったし。みんな、ラ行など の発音の練習など一生懸命練習してくれた。2年目のクラス は春以来の授業で忘れていることも多く、ひらがなを書かす と、なかなかミスも多かったが、疲れた?という質問に首を 振ってくれてよかった。そして、面白かったのが、辞書をさし て、「これは何ですか。」という質問に「ジビキ!!」とみんな 声をそろえて言っているのが新鮮だった。鶴を折ってみた。 とても難しそうだった。 ![]() ![]()
2回目の授業は教室がなく、食堂でした。でもこれがなかな
かよかった。みんなひとつのテーブルで接近しているので、 お互いにノートも見ることができる。前回より目を輝かせて 授業を受けてくれた。ただ、みんなそろって声を出して日本 語を言うと周りの学生が驚いてみていた。去年の夏からず っと校舎を工事しているので教室がないのが残念だ。みん な一生懸命授業は受けてくれるものの、家ではあまりしてい ないうようだ。
10月25
![]()
ここへ来て1ヶ月くらいがたつ。思ったとおり、生活は厳し
い。でも授業は楽しい。寮に住んでいるが、なかなかルーム メイトとうまくいかない。ロシア人学生なのだが、前に常に机 の上はきれいに、布団もきれいに、カーテンは閉めちゃだめ といろいろダメーダメーと言われ、そのようにしてきたのだ が、私もあまりロシア語ができないのもあり、あまり会話もな く、いつもラジオが流れている。よく彼女は、友達の家に泊 まりに行っていないのでいいのだが、いるときはラジオの音 と緊張とで、授業準備が全くできないので、すぐに散歩に出 かけるようにしている。たまによく話すのだが、わたしから話 しかけても、あっそう とかわされることもある。日本人はプ ライベートを大切にする。とビクトル先生はいっていた。ロシ ア人の共同生活は本当に共同だ。自分のがなくても台所用 品とか勝手に使うらしいけど、私はなかなかできない。毎日 とても気を使う。やっぱり自分だけの空間がほしいなあ。 ![]()
バスに乗った。乗車賃は6ルーブル。払わなかったら50ル
ーブル。おばちゃんが回収しにくるので、6ルーブルを手に 持って座っていたら、おばちゃんはこっちも見ずにさーっと行 ってしまった。するとすぐに罰金回収のおばちゃんがやって きた。わたしは切符はまだないと言ったら、さっきのおばちゃ んが、「私はちゃんと回収したわよ」と言っている。来なかっ たと抵抗はしたのだが、大きな体の罰金回収のおばちゃん は払え払えという。二人はグルだろうとおもった。私がもう降 りなければならないので、仕方なく払った。そしたらちょっと 待ってと、罰金領収書をゆっくりちぎっている。扉が閉まって しまった。私は次のバス停で降り、歩きながら、いろいろなこ こでの生活のつらさが身にしみて、秋の枯葉が舞うきれい な道をしょんぼり歩いた。
10月25日
![]()
アルバイトの面接へ行った。大学の授業ではお金が足りな
いのと、空いた時間がかなりあるので、事前にビクトル先生 に他の仕事を探しておいてもらった。‘アジア‘という名の、 ウズベキスタンと韓国料理のお店だ。ここのオーナーはウ ズベキスタンから来た人で、顔はアジア系の顔をしている。 両親が韓国人だそうだ。妹さんと一緒にこのお店を経営して いる。もうすぐ新しいお店を開くそうで、そこで日本食もメニ ューに取り入れたいのだが、寿司は作れるか?と聞かれと まどった。料理は好きだが、寿司はちょっと、、、。まずはウ ェートレスとして働くことに。メニューを覚えろといわれ、他の ウェートレスのアンドレイやナージャ、ユーリャに教えてもら った。知らない言葉ばっかりだ。ユーリャは20歳なのに、も う結婚していて、おなかに赤ちゃんがいる。びっくり!それで いてタバコをパカパカ吸っている。ロシアの結婚平均年齢は 22歳くらいだそうだ。はじめはあまりしゃべらなかったが、打 ち解けてくるにつれ、いろいろきいてくる。「日本でも、タバコ をたくさん吸う?」「漢字はいくつあるの?」「日本人は酒を いつ飲むの?」 大学の給料をいうとみんなすごく驚いてい た。ゼロがひとつ勘違いしてるんじゃないかと何度も言われ たが、ロシアの学校の給料はすごく安い。たとえ、ゼロをひ とつ付けたとしても、日本人にとってとても少ない。「どうして ここに来たのか、私にはわからないわ」ともいわれ、あまり に言われすぎるとなかなかブルーになる。
10月30日
![]()
日本語弁論大会がモスクワでおこなわれた。ロシアのモ
スクワをはじめ、ハバロフスク、ウラジオストーク、サンクト・ ペテルブルグなど、そしてとなりの国キルギス、ウズベキス タンなど、さまざまなところから、各地の弁論大会で優勝した 優秀な大学生24人が、自分のスピーチを発表した。会場に は大使をはじめ、たくさんの日本人がいて、日ごろ日本人に 接していなかった私は変な感じがした。優勝者には日本へ の切符が手に入る。日本語を勉強している学生にとってこ れはとても大きな賞品だ。どちらにせよ24人のスピーチは すばらしかった。とくに私の印象に残ったのは、キルギスか らの学生で、医療関係で働いている人の給料アップを訴え ていたスピーチだ。私の隣に座っていた人がキルギスの人 だったのだが、彼女の訴えにあわせて、こぶしを握り締め て、もっと強く、もっと強く言え!と応援していた。このモスク ワの弁論大会の場を借りて、自分の国をもっとよい国にして 欲しいという願いを訴える姿に心を打たれた。 ![]()
休憩時間に、地下鉄のキオスクでパンを買い、歩きながら
食べていると、ジプシーの子供たちに財布をかばんから取 られた。とられた感覚がしたのですぐ後ろを振り返ると、小さ な子5,6人と女の人が私たちの後ろにいる。私とカーチャ は返せ返せと何度もいい、財布を返したかとおもうと、中が 空っぽ、さらにとったお金を返せ返せと何度も言うと、汚れた 服の中から取ったお金を全部手渡した。生活に慣れたとこ ろで気が抜けるので、いつも用心しなければならない。すぐ 近くに警察が2人立っていたのにただ見ていただけだったそ うだ。モスクワは危ない。そして自分も用心しなければなら ない。
|